第20回日本古流いけばな展(2000初夏・・・つどう花々)


野村ホールの場に弾む 四世家元による初の采配


 郷里の山梨で正風遠州流の花技を修め、甲新山古流を興したあと東京に活動の地を求めて明治33年(1900)、20世紀の夜明けに日本古流を新たに創流した初世角田一忠が拓いた活動の地盤を、突出したリーグーシップのもとに組織を飛濯させた二世角田一忠に続いて今日三世、四世と継承している日本古流が、明治・大正・昭和・平成という四世代にわたるあゆみの中で息吹かせてきた花の移ろいは、伝承生花の一貫した心技に加え、時代に呼応した自由花を一方で創作指向とした柔軟な対応に象徴されよう。それは、二世家元が野村ホールという硬質な現代建築様式の空間に花の場を拓いてきたことも一つには象徴されるが、何よりも植物と向き合って感応した息づかいがダイレクトに伝わる作品の提示に、この野村ホールでのいけばな展で毎回心地よいものを感じてきた。そうした指向の集大成ともいえる創流100周年記念展が昨年の2月、新宿京王プラザホテルで大々的に開催され、積層させてきた流歴に弾みをつけ流外からも大きな反響が寄せられた。そして1年を経た2000ミレニアムの今年2月、100周年記念式典と祝賀会がホテルニューオータニで晴れやかに広げられ、来たる別世紀へ向けてのステップを展望させる四世家元角田一忠(前副家元・荒木一洲)の縦承披露をもかねた華やいだものとなった。
 第20回を数える野村ホールでの今年のいけばな展は、その四世家元による初の采配のもと、天井の高いオープン会場の中で台席とフロア面を自在に構成した柔らかい視野の広がりの中に作品をとけ込ませていたのが注目された。三世家元角田一苔、四世家元角田一忠の両生花作品がフロアの自由花作品をはさんで対面に位置するなか、シャッター壁面の前には三須一壮、鈴木一壮、椎名一君のれんぎょう一色による三体の生花がこの場にしなやかな花形の息づかいを伝えていたのが印象に残る。このほか、生花では岡野一秀(未央柳)、松崎一弘(れんぎょう)、入角一栄(柊南天)、森一麗(しもつけ・あじさい)の作品に注目した。
 当年91歳の事を迎えた三世角田一苔は、展覧会場でもかくしゃくとした元気な姿が見られたが、唐銅水盤にごすけなつはぜを本勝手いけで力強く生彩と立ち上けた技量は、いかにも明治の女性の気風を感じさせる中に、さわやかな緑の風向感が楽しめるものだった。対照的に杜若を長方型陶水盤たっぷりと広げた四世角田一忠の株分は、葉組みの技をみずみずしく立ち上げた中に水無月の季感をたおやかに伝えていた。
 一方、自由花では多くの佳作が場を弾ませていたが、スペースの都合で全作は紹介できないが柴崎一仁(れんぎょう・紫てっせん・カサブランカ)、清水一幸「龍炎」(赤松・ほうき草−グリーンとオレンジ色・クレスト)、坂本一正(けむり草・紫てっせん・着色みつまた)、杉山一育(もみじ二色・ふいり青木)、内山一貴・関口一嘉(ごすけはぜ・ルレーブ・白樺)、保田一伯(繊維状のニューサイラン・オレンジ色の洋花)、山口一敬(ニューサイラン・スターチス・ゴールドスティック)、荻原一優(ふいり八つ手・レースフラワー、岩村一静・染谷一汪・山上一幸(フトイ・黄カラー・オクロレウカ)の作品に注目した。
 キャリアを重ねたベテランの細田一弘と小林一苗の二作家による創作意欲と気力にあふれた作品展開が今展も場を動かし注目された。細田一弘はやはりベテランの尾崎一佳との合作だが、フロアコーナーに長方形のスチール水盤3個を横位置と斜め縦位置に遠近配置し、その水盤の口いっぱいに花穂先を実らせた丈余の太蘭1000本を等分余にいけ、密度を持たせた水盤口から上部に向けて青々と放射させた穂先のささやくような美しいざわめき。しかしこの作品はそのシンプルな美しさだけにとどまらない。3個の水盤にいけた太蘭のマッスの中の何十本かを斜めにハス切りした白い切先の茎が生み出す斑文のようなリズム感を線とマッスの三様に連動させていた。方形の平台上に透明ガラス筒2個を対角に配置して紫陽花と紅しだれを投入れ、平台から投入れた花を囲うように突起させた真竹と錯綜させた笹竹の繊細な走りをあえかな線空間とした小林一苗。作者のこの作品のネライには紫陽花と紅しだれの綾なす色彩を、真竹と笹竹の濃淡な陰影のラインでグラデーションさせた奥行きのある美意識がうかがえる。(日本女性新聞 2000.7.1より)

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